中学生からの唯一無二の親友のお父様が亡くなられたとの連絡を受け、迷わず仕事も休みにして葬儀に駆け付けました。葬儀の場はなぜか自分にとってはとても大切な時間に思えるので、嫌いではありません。
日常の雑事に追い回されて本来の自分を失なっていないか、つまらぬこと、くだらないこと、取るに足らないようなことにとらわれて小さい人間になっていないか、大局的に生きているか、人を大切にしているか、命を大切にして生きているか・・・そんなことを反省させられて、本来の自分を取り戻すとても大切な機会になるからです。キリスト教の葬儀に出るのは初めてでした。

亡くなられた故人の生涯の略歴やエピソードを聴きながら、もっと詳しく聴いてみたい、一人一人、人生はドラマと物語と目覚めのようなものがあるのだなぁと思いを馳せつつ、この方がいて、ご家族がいて、そのお陰で親友の彼がいるのだと、感謝の気持ちで目頭が熱くなりました。大学病院から強い意志の元退院し自宅に帰宅してその日に亡くなられたそうです。訪問看護師は早く救急車で病院にと言いましたが御本人様は「ここにいる」と強く言ったそうです。

故人が晩年大切にしていた聖書の言葉に「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ完全に現れるのだ」という一節、牧師さんの説教を聴いても浅学な愚生には理解できず、調べてみると感慨深いものでした。https://ps.kyoai.ac.jp/2021/11/04/11%E6%9C%88-%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E6%81%B5%E3%81%BF%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E5%8D%81%E5%88%86%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B/末期がんに侵されて苦しい闘病の中、光を見出したのでしょうか。
2024/06/28
